OTAIKO座明神のプロフィール

 ■ 織田ってどんなとこ?


 越前町織田地区は、福井県の西部、丹生郡越前町のほぼ中央に位置し、人口5,400人の地区です。
 織田の歴史は古く、地区の中心部に鎮座し、1800年の歴史を誇る越前二ノ宮「剱神社とともに発展してきた地区で、名前から推察されるように
織田信長の祖先は、剱神社の神官であったといわれています。
 また、日本六大古窯「越前焼」のふるさととしても有名で、いたるところに古い釜跡があります。また、豆腐も椎茸もおいしいです。




 ■ OTAIKO座「明神」の生い立ち


 織田地区には、区内全集楽に「だいずり太鼓」が伝承され、また、剱神社に毎年奉納される県無形民族文化財「明神ばやし」が受け継がれるなど、もともと太鼓のさかんなところでした。
 この太鼓文化のシンボルとして、平成元年、あの有名な「ふるさと創生資金」で、当時西日本一の五尺の大太鼓「明神」を旧織田町が製作したのが始まりです。
 はじめはシンボルとしての飾りものだったのが、大太鼓といえども楽器なのだから、叩いてみたい、聴いてみたいということになり、平成2年大太鼓「明神」を中心としたイベントO・TA・I・KO 響(ひびけ)90を開催。人口5,400人の町に8,000人も集まり、町民びっくりの大成功となりました。

 それと平行して、せっかくの町の大太鼓をプロに演奏してもらうのではなく、町民で叩こうとの声があり、町では太鼓グループの育成に着手、太鼓集団「天邪鬼」の渡辺洋一氏に指導を依頼しました。
 当初20人でスタートしたものの、練習のあまりのハードさにメンバーが次々脱落、また、練習時の太鼓の大音量に苦情が相次ぎ、練習会場を転々とするなどいろいろなことに悩まされながらも渡辺洋一氏の一年間の育成指導により、大太鼓組曲「夢・開眼」(ゆめ・かいがん)を創作。
 平成3年8月のO・TA・I・KO響’91で、メンバー10人のOTAIKO座「明神」(おたいこざ・みょうじん)としてデビューを果たしました。

 この年も、小さな町に16,000人がつめかけ、町民は再度ビックリ!このようにして、全国に知られるようになった太鼓イベント「OTAIKO響」、と創作太鼓集団「OTAIKO座明神」は走り出したのでした。

 ■ OTAIKO座明神の活動

 私たちは、毎年のO・TA・I・KO響をメインステージと位置づけ、外に向かっては、越前町織田の文化大使として各地のイベントに出演。積極的に福井の織田をアピールしていきたいと思っています。
 結成4年目を迎えた平成5年。自分たちの太鼓のレベルが知りたくて、第8回国民文化祭いわて’93・全日本太鼓まつり創作太鼓コンクール部門・団体の部に応募、
全国53団体のうちから本選出場8団体に選ばれ、陸前高田市での本選において、岩手県知事賞を受賞。

 また、旧織田町ではまちづくり事業の一環として、太鼓練習館・野外ステージ・宿泊施設を備えた複合施設>「オタイコ・ヒルズ」が平成6年に完成、OTAIKO座明神の活動拠点、ならびにO・TA・I・KO響のニューステージが整備されました。

平成7年6月、世界6大芸術祭のひとつ、オーストラリア・アデレードフェステバルの参加オーディションによりフェステバルへの招待が決定。
 翌平成8年3月1日から5日まで、アデレードフェステバル’96のオープニングコンサートのトリ(最後)をつとめたり、マンボの王様ティト・プェンテとのジョイントなど5日間で9ステージを精力的にこなし、コンサートチッケットの完売はもとより、地元紙の「見てみたいパフォーマンスベスト10」のひとつに選ばれるなど高い評価を得ました。

 平成6年、林 英哲 演出のJT(日本たばこ梶jのテレビCMの大太鼓奏者に座長の 上坂 優 が抜擢されたことにより、「林英哲」氏の知遇を得、平成7年の同社のテレビCMへのメンバーの出演、さらにはそのCMメンバーで結成された「英哲風雲の会」による英哲全国ツアー参加など、個々の技量の向上とともに活躍のフィールドが広がっています。

 また、平成9年にはO・TA・I・KO響の出演依頼から交流の深まった「時勝矢一路」氏からO・TA・I・KO響でのフィナーレ曲の提供と指導を受けました。
 このように、日本の和太鼓の著名なアーティスト渡辺洋一氏、林英哲氏、時勝矢一路氏などの知巳を得、指導助言を受けるなど、福井県の小さな町のアマテュア和太鼓集団としては、非常に恵まれた環境にあります。

 平成11年、私たちの心の奥に流れる日本のリズムにふれるべく、津軽あいや節やじょんがら節にあわせた「津軽手踊り」や俵積み唄に挑戦するとともに、江戸里神楽・若山社中「鈴木恭介」氏から壽獅子の手ほどきをうける。

 平成12年11月、結成10周年を記念して、かねて念願の有料単独コンサート「OTAIKO座 明神 コンサート 夢・開眼」を実施。
 福井県で一番大きなホール・福井市フェニックスプラザ大ホールに2,000人を集め、太鼓のみならず獅子舞、
手踊り、笛、カホーンなど多彩なジャンルにも挑戦し、多大な評価を得ました。


 平成15年5月、「英哲風雲の会2期生オーディション」に、会の若手メンバー3人が応募、全国の俊英が揃うなか見事3人全員合格を果たす。
 また10月には、会長の上坂が指導育成した県立福井農林高校「郷土芸能倶楽部」が全国高校総合文化祭準優勝を獲得するなど、若手の育成にも力を注いでいる。


 平成17年11月23日、15年の感謝の気持ちを込め、みんなで太鼓を人生を楽しみましょうというテーマを讃娯楽聲(さんごがくしょう)の4文字に託して「OTAIKO座 明神 15周年記念コンサート 讃娯楽聲」を福井フェニックスプラザ大ホールにて開催、洗練された舞台構成、豊富な練習量に裏打ちされた太鼓パフォーマンスが前回にもまして評価され、大好評を得ました。